猫に小判をおそれない。

今朝方いやな夢を立て続けにみた。

あまりの悲しさに夜中起きて泣いてしまったのだけれども、あきらかに昨日読んだ村上春樹の短編に影響されて(怖いおはなしだったので)、その怖さだけがずっと残ってたのともう一個は、この先どうするんだ?みたいな気分になったときや、直近になにか大事な出来事があって緊張しているときは、必ずみる夢だった。

ちょっといままでのパターンと違ったのは、このひとだけには嫌われたくないと言う気持ちで、いまできるかぎりのことをして全力を尽くそうと取り組んだことだった。

夢ももしかして進化するんだろうか。

以前まではあまりの怖さに立ちすくむか逃げ出すかどちらかを選んでいたのだが...まぁほぼやけっぱちのブチギレで「やったらぁ!」って感じだったけど。

泣いてしまった方は、親が死ぬ話だった。たぶん、コアラやオーストラリアの動物たちが生前の姿そのままに黒いかたまりになってしまっている写真や、ロンドンの女の子がもし戦争に巻き込まれてしまったら、という動画みたせいかと思う。無意識でほんとうに恐れているんだなぁと起きてしみじみ考えてしまった。

今日は、蚤の市に出かけて気になってたパン屋に寄った。最近あんバターフランスにはまっている。甘いあんこと、口の中でとけるカットされたバターがぱりっとしたバゲットとあわさって、思わず部屋で小躍りしてしまった。

蚤の市は買おうと決めていたものがたくさん溢れてて、そういえばこれも欲しかったんだと思い出すものもあって、でもわたしは衝動買いができなくって次にしよう...と写真だけ撮って帰ってきた。むかし、ベルギーのめちゃくちゃでかいブロカントで妹とふたりで重たい鍋をかかえて帰ったことを思い出した。

買い物をするとき、これが本当に必要なのかっていうのももちろんだけど、私にはたして見合っているのか?とかも考えてしまう。古道具は年代を感じるのでなおさら引き継ぐ感があって慎重になってしまうんかなぁ。次こそぴったりのポットに出会えますように。


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